![]() さて前回の話の続きと言う訳でもないが、マクベスは自らの欲望の実現のために魔女を利用し、最終的には悲劇の最後を遂げた。もちろんこれは戯曲の話なのだが、では実際にこういう事は起こり得るのだろうか? つまり「魔術の実践はどのくらいの危険を伴うのか?」 これは実際には、その危険性には相当の種類があると思われる。火が危険なのは、「火傷するから」である。電気が危険なのは「感電するから」である。原子力が危険なのは「汚染」を起こすからである。そして火傷にも「水ぶくれ」程度の軽いものから「致命的なもの」まで存在する。感電も放射能汚染も然りである。総じて言えるのは「人体に向けられた場合は何らかの影響を及ぼす」ということで、しかし同時に人間は「たき火に手をかざす」事もあれば「電気や放射線」を用いた治療も存在する。これは重力や磁力も同一と考えられるので、魔術的エネルギーを単に「エネルギー」として考えるなら、「適度であれば問題ない」ということになる。 ところが世の実際では、いわゆる「白魔術」は「可」で「黒魔術」は「不可」であるというのが一般的である。この通説は正しいのであろうか?エネルギーとしての魔術には「白黒」の種類が存在するのだろうか? 私は「性質として、それは存在する」と思っている。 誤解を避けるために書くと「天使と悪魔」は異質のエネルギーではない。それを「炎」で例えるなら「白魔術の魔力」も「黒魔術の魔力」も同じ「炎」である。しかし外観が違うのだ。前回に書いた通り魔術的エネルギーは「外観」は「性質」であり「単位」なので、炎で言うなら「物理的な炎」は「色」によって「温度差」程度の違いしかないが、魔力のエネルギーはその外観の変化で「人を天国に導くか地獄に落とすか」程の性質の変化が起きる。そして人が彼等を召還する理由はその「性質の利用」なのだから、ここまで性質が逆転してしまうと、 実際的にはそれぞれは「別のもの」として「扱う必要があるのだ」。 もともと中世の、こういった魔術的考察、さらにそれを進化させた錬金術から「分子化学」は誕生した経緯がある。窒素は人体に欠かせない元素の一つであるが、これが硝酸(HNO3)に変化すると強烈な酸となる。その硝酸とグリセリンとの化合で作られるニトログリセリン (C3H5(ONO2)3)は、もともとの窒素には「発現していない性質」である「強烈な爆発性」を持つに至る。ここまで性質の変化が起これば、扱うものにとってはその「素材」より「性質」が重要視されるのは当然の事で、この観点に立てば「悪魔化したエネルギー」は慎重な操作が必要となるのだ。 つまり「天使を召還したのに悪魔が現れた」という現象は「硝酸を作っている最中にニトログリセリンが出来た」という事に匹敵する「危険性」を孕んでいる。だからすぐさま儀式を中断しなくてはならないのだ。穏便に。刺激する事なく。ところがこれがニトログリセリンではなくてアンモニア(NH3)の生成であるとしたら仮にそれを吸引したとしても、 「適度であれば問題ない」。 問題は無くはないが、少量ならば大事には至らないであろう。少量であってもこれがニトログリセリンならば大いに問題がある。 魔術的エネルギーが一般的なエネルギーと違うのが、まさにこの部分である。 一般的なエネルギーと同じように「単位」が「数量」であるなら、その性質は「数量に順当に比例する」だろう。だが魔術的エネルギーにはこういった「数量的尺度」がまったく通用しない。「黒魔術」の材料として召還されたエネルギーは、少量であっても厳然たる「危険物」なのだ。 取扱うものが危険物ならば失敗の反動も大きい。さらに悪いのは、その反動と実際に起こった現実との間に「因果関係」が見出せない事にある。見えない「因果」は恐怖を増大させる。「この不幸は魔術の結果なのかも知れないし、そうでないかも知れない」という不安は、しかしもともとは本人が相手に抱かせようとしたものなのだ。「因果応報」という言葉の通り、他人を不幸に陥れる魔術には鏡のような危険性が存在する。 では具体的な症状としては、 黒魔術にはどのような効果が考えられるのであろうか? まず第一は「外見的焦燥感」となって現れる。第二は「幻覚・幻聴」であり第三は「被害妄想」がその症状の主なものである。その他にも「三半規管の異常」「閉所・暗所恐怖症」「人格の分裂」等、数え上げれば枚挙に暇がない。ただこうして見てみると総じて「精神の障害」がその主なもののように見える。 そして魔術の反動が「鏡」のようなものである事を考えると、つまり「黒魔術」とは「相手を不幸にするための術」ではなく「相手の精神を攻撃する術」と理解するのが正しいのだ。事実中世の黒魔術師や古代の呪術師が行う「攻撃」とは、おおむね「恐怖による相手の精神の破壊と発狂」が目的であった。 精神の破壊によって周囲から孤立させ、正常な生活を奪い、平穏な日々を奪い、愛する者を絶望に陥れ、時に狂気によって死に至らしめる。運命を狂わせる最も単純で、最も忌むべき方法である。たとえその目的が「復讐」にあったとしても、本当にこういった方法が「妥当で安全な方法」と言えるであろうか?しかもその過程が単なる「薬品の投与」というのならともかく、非常に長い時間に断続的に与えられる「恐怖」によるものなのだ。 おそらくは聞くだけで耳を覆いたくなる話だろうが、最近になって欧米で中止されたある動物実験の話がある。それは精神障害の比較実験のために行なわれていたものであるが、まだ乳離れしていない子猫の両足に電極を刺し、一日に700〜3000回の電気ショックを与え、その恐怖によって子猫を発狂させる実験というのが、日常的に繰り返されていた。言うまでもなく当の子猫にとっては残虐極まりない処置であるが、私が胸を掻きむしられる思いに至ったのは、側にいた「親猫」の行動である。 電極が差し込まれる最後の瞬間まで親猫は必死に牙を向き試験官に抵抗し、実験が始まったらとても堪えられなかったのであろう、電流を流されるたびに叫ぶその子猫の叫び声の届かないところまで走り去ったと言うのだ。一日の終わりに電極が外された子猫に駆け寄った親猫は、ただひたすら乳をやり体中をなめ続けたと言う。 今でこそ中止されているこの動物実験は、上記の黒魔術と何ら変わるところがない。 繰り返すが、魔術的攻撃とは「恐怖による精神の破壊」がその手段である。ただ単に相手を「交通事故にあわせる」とか「社会的信用を無くす」とか言うレベルの「偶発的不幸や災難」を呼び起こすものでは、ないのだ。最低で、最悪の手段を用いて相手の人生を破壊する。 確かにエネルギー自体の「天使と悪魔」には「善悪の相違」は無い。 しかしそこから無責任に「白魔術」「黒魔術」が「術を行使するものの心がけ次第」などという「気の抜けた」論理を展開する事は、術を行使するものの責務として厳に慎むべきである。 それでも自らの欲望に抗えず「黒魔術」を行使しようとするならば。 一度失敗して、実地でその効果を体験する事を、私はお勧めする。 ユウラ |