こんばんは、ユウラです^^
 堅苦しい挨拶は抜きにして、さっそく始めていきましょう。

 今回の講習ですが、単に時期読みの講習をするのに、
 なぜその前に「運命の分化」なんていう堅苦しい話をするかと言いますと、
 じつはちょっとした理由があるのです。
 その理由はおいおい分かっていきますので、
 まずは「運命の分化」について、話を進めていきたいと思います。

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 さて、「運命」というのは存在するのでしょうか?

 もしこの世に「運命」があるなら、そしてそれに法則性があるなら、
 私達はその「法則に従う」事によって、かなり正確に「未来を予測する事ができます」。

 自然科学においては「力学その他の物理法則」をベースにして、
 ある程度の「未来予測」を行なう事が可能です。

 では「占術」はどうでしょうか?

 「占術」はいったい何を基本にして、未来予測を行なう技術なのでしょう?

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 結論から言いますと、
 「占術」は運命を3つに分化する事によって、未来を予測しているのです。

 その3つとは「周期(しゅうき)/因果(いんが)/会合(えごう)」です。
 まずはこの3つの運命の分化を、説明していきましょう。



 ★「周期(しゅうき)」
 まずは周期について考えます。運命には周期があります。
 周期とは「できごと」が持っている一定のリズムのようなもので、
 これを利用して占うのが、一般的に「命式」と呼ばれる占いですね^^
 占星術/数秘術や東洋系の気学等、星の配列あるいは暦をベースにした占いは、
 このカテゴリに当てはまります。

 周期を利用した鑑定の原理とは、つまり
 「ある特定の時節に誕生した人間の集団は、一定の性格と運命を持つ」という
 周期的な「クセ」を鑑定に利用する事にあります。



なぜ「特定の時節に誕生した人間の集団=一定の性格と運命」という事が
起こるのかは、もう少しあとに解説しますが、
ではこの周期を利用した鑑定は、現代において「有効か無効か」を考えると、

古代(それらの占いが完成した時期)にくらべれば、
周期による鑑定は「当たりにくくなりつつある」のが現状です。

なぜなら私達の文明は
「周期との戦い」をくり返しているからです。

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文明と人間の生活において、「未来がどうなるか分からない」という感覚は、
常に
「恐怖の対象」でしかありませんでした。
それは歴史の為政者も、一般の農民達も同じです。
為政者は国と自分の一族の繁栄が「いつまで続くのか」が気にかかり、
農民にとっては「今年の作物の出来不出来」は、常に最大の関心事でした。

その周期を知るために発達したのが「占術」ではありましたが、
私達の文明は
「未来を知る事」より「未来を安定させる事」に力を注いできたのです。
多くの場面で、それらは「科学」や「法律」を利用して行なわれました。

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皆さんも御存じのように、スーパーの野菜は現在、
「季節感」を失いつつあります。また街は天候の異常にも強くなりました。
「財産に関する法律」や「保険制度」といった「法の整備」は、
周期的に人生に起こる試練を「安定して切り抜ける」事に
役立っています。こうして未来は「安定」に向かい、

世界から「運命の周期」は失われつつあります。

占星術や秘数、気学等で「運気的に金運の強い時期」より、
現代人は「給料日の当日から数日間」の方が、
金銭的には充実する事になりました。それは
予測出来る未来です。

技術/情報/物品の流通も世界を網羅し、その結果、その土地独特の個性は消えつつあります。
街の新しい開発は「日本でもヨーロッパでも」似たような順序を辿り、
似たようなビルが建ち、交通渋滞や公害といった似たような問題を起こします。

つまり私達の文明は「天の周期からだんだんと乖離して」、
自ら「独自の、予測出来る周期」を作り上げてきたのです。

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このような文明の中において、未だ人間が操作しづらい周期性は
「人との出会い」特に「異性との出会い」の周期性で、
そこを考えると、占術が「恋愛」に特化して利用されつつある現状は、
当然と言えば当然かも知れません。

それらについても、例えば現在は「お見合いイベント」「出会いサイト」など
人為的手段が介入しつつあります。

では、こうして人間が「天の周期から乖離する事」によって、
完全に未来をコントロール出来る事は、はたして可能なのでしょうか?
そのあかつきには、命式を利用した占術は必要無くなるのでしょうか?

私は「No」と考えています。
それは
「天の周期」の持つ、ある「圧倒的原因」に理由があります。

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「天の周期の組成、素材には、人間がどうしても操作できない、
 ある「強烈な周期原因」があるのです。」


↑まず、この事を頭に留めておいて下さい。

では次に「因果」の説明です。


 
★「因果(いんが)」
 これは比較的分かりやすいですね^^
 ものごとには因果、つまり「原因と結果」があります。

 物理的な法則も「因果」ですし、
 例えば「悪口を言ったら嫌われた」という「心理的反応」による因果も、
 私達の生活には普通に存在し、それは特に占術を用いなくても、
 私達は日常の経験からそれらを学んでいきます。
 ですから特に明記することがらはありません。


基本的に「個人の運命」は、
この
「周期と因果」の混合によって動いています。
先ほど「現代人は「給料日の当日から数日間」の方が金銭的には充実する」と
書いたのは「因果」に属することがらです。
因果は一般的に明示性が強く、誰にでも理解出来ることがらなので、

人間は
「周期→因果」への移行を行ないつつあるのです。

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さてこの「因果」ですが、ちょっと例を挙げて説明しましょう。

「財布に5千円入っていたけど、さっき2千円使った」
 ↓
「お店で欲しいものがあったけど4千円だった」
 ↓
「買えなかった、がっかり」

これは小学生でも分かる「因果」ですね^^
「お金を使った行為が原因」で「買えなかった事が結果」です。

では、次のパターンを考えて下さい。

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「財布に5千円入っていた」
 ↓
「お店で欲しいものが『売切れ』だった」
 ↓
「買えなかった、がっかり」

これは「因果」でしょうか? 違いますね。お店にある商品が「売り切れていた」のは、
あなた自身の作り出した「過去/原因」ではありません。
全く関係のない場所で起こった過去です。

そこに「あなたがやってきて」その過去の「影響を受けた」のです。

このように「自分の預かり知らない運命の流れ」に、
「自分自身の運命が影響を受ける」事や、逆に「影響を与える」事を、
「会合(えごう)」と言います。

図1をごらん下さい



 ★「会合(えごう)」

 運命を考える上で、最も大切なことがらが「会合」です。
 私達はこの世界にたった一人きりで生きてはいませんので、
 この世の全ての人は「会合」によって、
 何事かの運命から影響を受け、また影響を与えています。

 動物の狩猟/海産物の収穫/農耕と栽培も会合の一種ですから、
 実質上「会合がなければ」私達は生きていけません。


「因果」の場合は、それが始まって終わる事を「帰結」と言います。
帰結によって本人に良い結果が出れば
「幸福」悪い結果が出れば「不幸」と言いますが、

「会合」の場合は、それが始まって終わる事を
「遭遇(そうぐう)または目」と言います。
遭遇によって本人に良い結果が出る事を
「遇(ぐう)」と言います。
逆に悪い結果が出る事を
「不遇(ふぐう)」と言います。

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「いい目をみた」「ひどい目にあった」というのは
会合による遭遇の影響の話なのですね^^
現代社会においても「会合」は毎日のように起こり、
人は影響を受け渡しあっています。それは大も小もあります。
小さな会合はささいな結果しか影響を及ぼしませんが、
大きな会合は、人生に重大な影響を与える場面もあります。

ぱっと皆さんが思いつく代表的な会合は「交通事故」等の、
「災害や事故」でしょう。これは大きな会合です。

図2を見て下さい。

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図のように「飲酒運転」によって事故を起こした運転手は、
因果応報、つまり因果によって事故を起こしたわけですが、
それに巻き込まれた歩行者は「会合」によって遭遇しました。

占術の問題でしばしば「議論」されることがらに、
災害や事故で亡くなった人々は、
あれは「運命なのか」ということがらがあります。
つまりその事故は「決められていた事だったのか」という議論です。

私は「会合」を未来の要因に考える占い師なので、
この議論に対する回答は次のようになります。つまり、

「事故に巻き込まれる人間は、その人でなくとも良かったのだ」という回答です。

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産まれたその時点から「事故に遭遇して死ぬ事」が
「100%確定している人間」などは、この世に存在しません。
そこで死ぬのは「その人でなければならなかった」なんて事はないのです。

人間は「周期」からできるだけ乖離して「安定」を求め、
さらに「因果」から学習して、論理的に未来を予測します。

ただ、
会合に関しては「一般的に」予測不可能なのです。

そのため占術を
懐疑的に感じる多くの人は「会合による遭遇」を「偶然」として片付けます。
逆に占術を
肯定する人の「一部」は「会合」を「運命による必然」とまで考えます。
これらは
どちらも極論で、「会合は偶然か必然か」という問題は、
もっと回答は「揺らぎやすい」ものなのです。

交通事故の例に戻ると、その事故に会合する歩行者は「誰でも良い」のですが、
実際は
「事故に会合しやすい周期に来ている人間」が選ばれてしまいます。

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「事故に会合しやすい周期」とは、たとえば、
歩く事を憶えたての赤ん坊、言葉を話し出した幼児、
入学初期の高校生や大学生、30代と40代のそれぞれの初期など、

多くは「関心が外側に外側に向かう時期」を指します。
この時期は、周囲で動いている運命に積極的に会合しようとしますので、
「遇」も「不遇」も増えて、結果として
「波乱ぶくみ」になるのですね。

また
因果も会合には加算されます。
道路を歩いていた歩行者が「考え事をしていたり」「注意力散漫だったり」する事は、
事故の会合の確率を上げてしまいます。

このように「周期と因果」の偏りによって、
会合する人間の選択は、人によって確率が変化するのです。

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その確率は時間に比例します。
事故に出会うような「周期と因果を保持したまま」会合の時間が近づくに連れ、
事故との会合は「いよいよ避けにくくなる」のですね。

そしてある瞬間から、スイッチが切り替わるように、
会合は「偶然」から「必然」に切り替わり、事故が発生します。

図3を見て下さい。

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会合の確率が高まるに連れて、時間には会合の「密度」が高まっていきます。
しかしその密度が一定量に達しなければ、
その時間は「会合の起こらない時間→起こる時間」のスイッチが入りません。

そう考えると、この「密度の高まり」を察知できれば、
会合に「自発的に出会ったり」「回避したり」できるという結論になります。

この
「密度の高まり」を見るのが「卜占(ぼくせん)」です。
卜占を考える前には、まず
「相」の存在を理解する必要があります。


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 ★「相(そう)の考え方」

 私達は普通、時間というものを「量」でしか捉えていません。
 そしてこの世界では、全ての時間の早さ(量)は「一定」です。

 ところが上に書いたように、会合のための「周期と因果」の密度が増えて、
 やがてそこが「会合の起こる時間」に切り替る現象は、

 「時間には『量』とは別に『質』がある事」を私達に示唆しています。

 「天の周期の組成に存在する人間がどうしても操作できない、
  ある強烈な周期原因」というのは、この時間の「質」の事です。


会合の起こらない時間と起こる時間には「質的な差」があります。
この時間の「質的変化」は、会合に遭遇するすべてのものに
影響を与えます。

会合の起こらない時間に飛ばなかった鳥は(いつ飛んでも良いのにも関わらず)
「会合の起こる時間」に飛びます。
切れかかっていたけど今まで切れなかった靴の紐は、
「会合の起こる時間」を選択して切れます。

時間のスイッチングによって、
「起こっても構わないのにこれまで起こらなかったことがら」が、
時間の質の影響を受けて「起こる」のです。
「偶然性の高いことがら(因果の必要のないもの)」ほど
時間の質的変化に反応しやすく、それらは集中して起こります。

こういった現象を
「相(そう)」と言います。

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この「相」の問題が、タロットをはじめとする卜占の基本になります。

図4を見て下さい。

図のように、未来のある部分で「会合」が起こる時、その周辺の時間の質が変化します。
「まだ選ばれていない時間の中」から「その時間が選ばれる」からですね。

すると、その時間の質の変化に「巻き込まれる」物質の変化の一群があるのです。
これが「相」を起こします。
巻き込まれる変化は自然物に多く、また偶然性の高いものが多く、

例えば、

「変化した雲の形」であったり、
「こぼれた水のシミの形」であったり、
「その時割れたガラスのヒビの形」であったり、
そして、
「その時出たタロットのカード」であったりするのです。

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こういった物質たちが、なぜ相を起こすかというと、
彼等もまた「その時間に会合して、運命の影響を受ける」からですね^^

さらに図5をみて下さい。

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図のように「偶然性の高いもの」とは
極めて短時間で「運命が収束するもの」の事を指します。

それらはすべて「
とても小さな運命」を持っています。
ガラスのヒビの「決定」や雲の形の「決定」は、それこそ数十秒〜数分で完結する運命です。

時間の質に巻き込まれるのは「物質そのもの」ではなく、
その物質が持っている「短時間の運命」が「巻き込まれる」のです。

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「事故が近づく」と「ガラスが割れる」と考えるから、
なにか
「相」を「物質に作用するオカルトめいたもの」と考えてしまうのです。

すぐ未来に事故が近づこうが近づくまいが、
ガラスは「どのみちいつか割れるもの」です。

その「いつか」が「なぜ今だったのか」そして「なぜそんな形に割れたのか」という、
その
ガラスの「運命」を考えるのが「占術」なのですね。
物質的作用ではなく、運命的作用を考えるべきなのです。

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このように、

ある時間に
「運命が巻き込まれて」起こった小さな変化を鑑定する占術
「観相」と言います。

それと逆に
「運命をわざと投げ込んで」何かに変化を起こして鑑定する占術
「卜占」と言います。

易やタロットは、
その場で小さな「運命」を作っちゃうんですね^^



 タロットのスプレッドはそこ数分間で完了する「
運命です。
 この小さな運命全体を、依頼者の持ってきた「運命」に投げ込むのです。
 すると「会合」が起こり、タロットに「相」が出るのです。
 こういった「相」を「目」と呼ぶのは「運命そのものが極めて小さい」からですね。

 これが
タロットの仕組みです。


事象(できごと)を科学する分野においては、
このことは「共時性(シンクロニシティ)」とか言われます。

ただ、科学的に時間を考察するのであれば、
時間は時間に、運命は運命に影響を与え合うという、
「単位の統一」を先に考えなければいけません。

運命や時間が「物質に影響を与える」と考えると、
共時性の問題が、オカルティックな領域から抜けだせないのです。
占術の道具が、何か「特別なもの」と誤解されてしまうのですね。

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実際に卜占は、どういった道具でも行なう事ができます。

私はタロットを持っていない時は「碁石や麻雀牌」でも占ったりしますし、
鉛筆やサイコロを転がしても「相」は出現します。
タロットそのものも単に「1から78」の数字を書いた紙でも、何ら構わないのです。

卜占の道具の優劣は、そのものの「ちから」ではなく、
それが相を起こした時の「読みやすさ」にあり、
運命の分割の仕方の「分かりやすさ」にあります。

タロットや易の筮竹(ぜいちく)、ルーンなどは、その点において優れているのですね。

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さて、ここで誤解しがちなのは、
「では
すぐ先に何か時間の質の変化がなければカードは反応しないのか」
つまり「すぐ先の事」しかカードは読めないのか、ということです。

しかしよく考えてみると、
会合による時間の質は「単に変化している最中」であって、
未来に会合がなくとも「周期や因果」で
時間そのものには常に「質がある」のです。

通常はタロット等は、この「継続中の周期や因果」に会合します。
そしてこの継続中の周期や因果に特別変化がない状態なら、

カードはまったく「同じ相」を出し続けます。

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ただ現実的には「因果が混ざる」のですね。
二度占いの効力が薄いのは、ここに理由があります。

それは例えば「近くの木に雷が落ちるのを見た」と友達に言われて、
同じ場所に見に行く子供と似たような行為になってしまうのです。

図を見て下さい。

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つまり「二度占いの持っている問題」とは、
では一度目に出た占いの結果をどうするのか」という問題なのですね。

多くの場合、
私達はこれを「なかった事」にします。
しかしこれは常識的に考えても、非常におかしな考え方なのです^^;

一回出たカードは、事実上「なかった事」にはできません。
それは落雷や事故でも同じです。その事には納得できるのに、
タロットにおいて「二度目が成立する」と考えるのは、本来おかしな考え方です。

図で言うと「皇帝の次に出した二度占いのカード」は、
あくまでも「皇帝の次に出たカード」でしかなく、
占者の都合で
これを「最初のカード」には「出来ない」のですね。

もちろん、図のB君が落雷に出会う確率が決して「ゼロではない」のと同じく、
二度目も全く同じカードが出る確率は「ゼロ」ではありません。
しかしこの時点で「会合」に「確率の問題」が混ざってしまいます。

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ただ同じ運命と会合している以上、極めて「近似的/補足的」な「相」をタロットは提示します。
的外れなカードは出てきません。

ですのでスプレッドにカードを「追加/補足」する行為は、私はアリだと考えています^^

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では逆に「多人数で一斉に同じ問題を鑑定する」、いわゆる「同時鑑定」はどうかというと、
これは面白い結果が出るだろうと私は考えています。こないだのマラソンでもそうでしたが^^

私がやってみたいなぁと考えてるのは、最低でも千人単位での同時鑑定です。
おそらく、確率以上の大きな「偏り」がカードに出るはずです。

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千人が千人まったく同じカードが出ないのは、
これはもう仕方がありません。先に書いた事故の例と同じです。
クルマにぶつかったのがジェット・リーと私では、
おそらく「洋服の破れ方=相」も違うでしょう^^;

「その占者」が「問題に会合している瞬間」は、立場を変えれば、
「その問題」が「占者に会合している瞬間」でもあります。


会合(鑑定)の瞬間に投げ込まれたスプレッドの「運命」は、
依頼者の問題に会合すると同時に占者の「リーディングの特徴」にも会合しているのです。

ですからその占者の「過去のリーディングの性質や傾向」にも、
スプレッドの「相」は影響を受けます。

「カードが読み手に合わせて展開してくれる」というのは、そういう意味なのですね。



 このようにタロット等の卜占は「当て物」として考えるなら、
 そのリーディングがしっかりできていさえすれば、
 100%「相」に出ます。八割九割ではありません。十割です^^
 それが100%まで行かないのは、そもそも占うべき問題が
 まだ「因果が動いている最中」だからなのですね。

 基本的に占いの性格上、もう「変えられない未来」は鑑定しません。
 変えられる未来は過去と続きがあり、変化の可能性があります。

 つまり交通事故も物損で済んで保険でクルマがきれいになったなら、
 過去の「金貨5」は「金貨6」に変わる可能性もある、という事です。

 そこで示談でゴネてしまえば「金貨5」は「棒5」や「剣5」に変わり、
 やがて因果として「棒6」「剣6」に動きます。
 示談で勝てば「棒6」でしょうが、その先には「棒7」が待っているわけです。
 「遺恨が残る」と言う事ですね。

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 逆に「周期」に反応する「相」は、
 占星術のホロスコープや気学/数秘などの「命式」による相、
 また人相や手相、姓名といった「観相」での相があります。

 周期の相による鑑定は、結婚や転職の時期鑑定に比較的有効で、
 あと最も分かりやすく出るのは「因果や会合」にあまり関わらない、
 「本人の身体の問題」つまり「疾病の周期」が非常に良く出ます。

 逆に卜占では、あまり長時間の身体的健康の保証はできません。
 よほど本人が重要視していない限り、
 「因果を起こしにくく」「会合にも左右されにくい」ことがらだからですね。

 ですから、スプレッドを会合させて「相に出る疾病」というのは、
 もうかなり「因果的に表面化してる(周囲に具体的に影響を与え始めている)危険」も
 あります。早急な対策が必要なのです。

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 さてこうして長々と「周期」「因果」「会合」についてお話してきましたが、
 これらの事を踏まえて、

 第二時間目の「時期読み」の本番に入ります。おつかれさまでした^^


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