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| なぜ「特定の時節に誕生した人間の集団=一定の性格と運命」という事が 起こるのかは、もう少しあとに解説しますが、 ではこの周期を利用した鑑定は、現代において「有効か無効か」を考えると、 古代(それらの占いが完成した時期)にくらべれば、 周期による鑑定は「当たりにくくなりつつある」のが現状です。 なぜなら私達の文明は「周期との戦い」をくり返しているからです。 ----- 文明と人間の生活において、「未来がどうなるか分からない」という感覚は、 常に「恐怖の対象」でしかありませんでした。 それは歴史の為政者も、一般の農民達も同じです。 為政者は国と自分の一族の繁栄が「いつまで続くのか」が気にかかり、 農民にとっては「今年の作物の出来不出来」は、常に最大の関心事でした。 その周期を知るために発達したのが「占術」ではありましたが、 私達の文明は「未来を知る事」より「未来を安定させる事」に力を注いできたのです。 多くの場面で、それらは「科学」や「法律」を利用して行なわれました。 ------ 皆さんも御存じのように、スーパーの野菜は現在、 「季節感」を失いつつあります。また街は天候の異常にも強くなりました。 「財産に関する法律」や「保険制度」といった「法の整備」は、 周期的に人生に起こる試練を「安定して切り抜ける」事に 役立っています。こうして未来は「安定」に向かい、 世界から「運命の周期」は失われつつあります。 占星術や秘数、気学等で「運気的に金運の強い時期」より、 現代人は「給料日の当日から数日間」の方が、 金銭的には充実する事になりました。それは予測出来る未来です。 技術/情報/物品の流通も世界を網羅し、その結果、その土地独特の個性は消えつつあります。 街の新しい開発は「日本でもヨーロッパでも」似たような順序を辿り、 似たようなビルが建ち、交通渋滞や公害といった似たような問題を起こします。 つまり私達の文明は「天の周期からだんだんと乖離して」、 自ら「独自の、予測出来る周期」を作り上げてきたのです。 ------ このような文明の中において、未だ人間が操作しづらい周期性は 「人との出会い」特に「異性との出会い」の周期性で、 そこを考えると、占術が「恋愛」に特化して利用されつつある現状は、 当然と言えば当然かも知れません。 それらについても、例えば現在は「お見合いイベント」「出会いサイト」など 人為的手段が介入しつつあります。 では、こうして人間が「天の周期から乖離する事」によって、 完全に未来をコントロール出来る事は、はたして可能なのでしょうか? そのあかつきには、命式を利用した占術は必要無くなるのでしょうか? 私は「No」と考えています。 それは「天の周期」の持つ、ある「圧倒的原因」に理由があります。 ----- 「天の周期の組成、素材には、人間がどうしても操作できない、 ある「強烈な周期原因」があるのです。」 ↑まず、この事を頭に留めておいて下さい。 では次に「因果」の説明です。 |
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| 基本的に「個人の運命」は、 この「周期と因果」の混合によって動いています。 先ほど「現代人は「給料日の当日から数日間」の方が金銭的には充実する」と 書いたのは「因果」に属することがらです。 因果は一般的に明示性が強く、誰にでも理解出来ることがらなので、 人間は「周期→因果」への移行を行ないつつあるのです。 ----- さてこの「因果」ですが、ちょっと例を挙げて説明しましょう。 「財布に5千円入っていたけど、さっき2千円使った」 ↓ 「お店で欲しいものがあったけど4千円だった」 ↓ 「買えなかった、がっかり」 これは小学生でも分かる「因果」ですね^^ 「お金を使った行為が原因」で「買えなかった事が結果」です。 では、次のパターンを考えて下さい。 ------ 「財布に5千円入っていた」 ↓ 「お店で欲しいものが『売切れ』だった」 ↓ 「買えなかった、がっかり」 これは「因果」でしょうか? 違いますね。お店にある商品が「売り切れていた」のは、 あなた自身の作り出した「過去/原因」ではありません。 全く関係のない場所で起こった過去です。 そこに「あなたがやってきて」その過去の「影響を受けた」のです。 このように「自分の預かり知らない運命の流れ」に、 「自分自身の運命が影響を受ける」事や、逆に「影響を与える」事を、 「会合(えごう)」と言います。 |
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| 「因果」の場合は、それが始まって終わる事を「帰結」と言います。 帰結によって本人に良い結果が出れば「幸福」悪い結果が出れば「不幸」と言いますが、 「会合」の場合は、それが始まって終わる事を「遭遇(そうぐう)または目」と言います。 遭遇によって本人に良い結果が出る事を「遇(ぐう)」と言います。 逆に悪い結果が出る事を「不遇(ふぐう)」と言います。 ----- 「いい目をみた」「ひどい目にあった」というのは会合による遭遇の影響の話なのですね^^ 現代社会においても「会合」は毎日のように起こり、 人は影響を受け渡しあっています。それは大も小もあります。 小さな会合はささいな結果しか影響を及ぼしませんが、 大きな会合は、人生に重大な影響を与える場面もあります。 ぱっと皆さんが思いつく代表的な会合は「交通事故」等の、 「災害や事故」でしょう。これは大きな会合です。 ----- 図のように「飲酒運転」によって事故を起こした運転手は、 因果応報、つまり因果によって事故を起こしたわけですが、 それに巻き込まれた歩行者は「会合」によって遭遇しました。 占術の問題でしばしば「議論」されることがらに、 災害や事故で亡くなった人々は、あれは「運命なのか」ということがらがあります。 つまりその事故は「決められていた事だったのか」という議論です。 私は「会合」を未来の要因に考える占い師なので、 この議論に対する回答は次のようになります。つまり、 「事故に巻き込まれる人間は、その人でなくとも良かったのだ」という回答です。 ----- 産まれたその時点から「事故に遭遇して死ぬ事」が 「100%確定している人間」などは、この世に存在しません。 そこで死ぬのは「その人でなければならなかった」なんて事はないのです。 人間は「周期」からできるだけ乖離して「安定」を求め、 さらに「因果」から学習して、論理的に未来を予測します。 ただ、会合に関しては「一般的に」予測不可能なのです。 そのため占術を懐疑的に感じる多くの人は「会合による遭遇」を「偶然」として片付けます。 逆に占術を肯定する人の「一部」は「会合」を「運命による必然」とまで考えます。 これらはどちらも極論で、「会合は偶然か必然か」という問題は、 もっと回答は「揺らぎやすい」ものなのです。 交通事故の例に戻ると、その事故に会合する歩行者は「誰でも良い」のですが、 実際は「事故に会合しやすい周期に来ている人間」が選ばれてしまいます。 ------- 「事故に会合しやすい周期」とは、たとえば、 歩く事を憶えたての赤ん坊、言葉を話し出した幼児、 入学初期の高校生や大学生、30代と40代のそれぞれの初期など、 多くは「関心が外側に外側に向かう時期」を指します。 この時期は、周囲で動いている運命に積極的に会合しようとしますので、 「遇」も「不遇」も増えて、結果として「波乱ぶくみ」になるのですね。 また因果も会合には加算されます。 道路を歩いていた歩行者が「考え事をしていたり」「注意力散漫だったり」する事は、 事故の会合の確率を上げてしまいます。 このように「周期と因果」の偏りによって、 会合する人間の選択は、人によって確率が変化するのです。 ----- その確率は時間に比例します。 事故に出会うような「周期と因果を保持したまま」会合の時間が近づくに連れ、 事故との会合は「いよいよ避けにくくなる」のですね。 そしてある瞬間から、スイッチが切り替わるように、 会合は「偶然」から「必然」に切り替わり、事故が発生します。 ----- 会合の確率が高まるに連れて、時間には会合の「密度」が高まっていきます。 しかしその密度が一定量に達しなければ、 その時間は「会合の起こらない時間→起こる時間」のスイッチが入りません。 そう考えると、この「密度の高まり」を察知できれば、 会合に「自発的に出会ったり」「回避したり」できるという結論になります。 この「密度の高まり」を見るのが「卜占(ぼくせん)」です。 卜占を考える前には、まず「相」の存在を理解する必要があります。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ |
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| 会合の起こらない時間と起こる時間には「質的な差」があります。 この時間の「質的変化」は、会合に遭遇するすべてのものに 影響を与えます。 会合の起こらない時間に飛ばなかった鳥は(いつ飛んでも良いのにも関わらず) 「会合の起こる時間」に飛びます。 切れかかっていたけど今まで切れなかった靴の紐は、 「会合の起こる時間」を選択して切れます。 時間のスイッチングによって、 「起こっても構わないのにこれまで起こらなかったことがら」が、 時間の質の影響を受けて「起こる」のです。 「偶然性の高いことがら(因果の必要のないもの)」ほど 時間の質的変化に反応しやすく、それらは集中して起こります。 こういった現象を「相(そう)」と言います。 ------- この「相」の問題が、タロットをはじめとする卜占の基本になります。 図のように、未来のある部分で「会合」が起こる時、その周辺の時間の質が変化します。 「まだ選ばれていない時間の中」から「その時間が選ばれる」からですね。 すると、その時間の質の変化に「巻き込まれる」物質の変化の一群があるのです。 これが「相」を起こします。 巻き込まれる変化は自然物に多く、また偶然性の高いものが多く、 例えば、 「変化した雲の形」であったり、 「こぼれた水のシミの形」であったり、 「その時割れたガラスのヒビの形」であったり、 そして、 「その時出たタロットのカード」であったりするのです。 ----- こういった物質たちが、なぜ相を起こすかというと、 彼等もまた「その時間に会合して、運命の影響を受ける」からですね^^ さらに ----- 図のように「偶然性の高いもの」とは極めて短時間で「運命が収束するもの」の事を指します。 それらはすべて「とても小さな運命」を持っています。 ガラスのヒビの「決定」や雲の形の「決定」は、それこそ数十秒〜数分で完結する運命です。 時間の質に巻き込まれるのは「物質そのもの」ではなく、 その物質が持っている「短時間の運命」が「巻き込まれる」のです。 ------- 「事故が近づく」と「ガラスが割れる」と考えるから、 なにか「相」を「物質に作用するオカルトめいたもの」と考えてしまうのです。 すぐ未来に事故が近づこうが近づくまいが、 ガラスは「どのみちいつか割れるもの」です。 その「いつか」が「なぜ今だったのか」そして「なぜそんな形に割れたのか」という、 そのガラスの「運命」を考えるのが「占術」なのですね。 物質的作用ではなく、運命的作用を考えるべきなのです。 ------- このように、 ある時間に「運命が巻き込まれて」起こった小さな変化を鑑定する占術を 「観相」と言います。 それと逆に「運命をわざと投げ込んで」何かに変化を起こして鑑定する占術を 「卜占」と言います。 易やタロットは、その場で小さな「運命」を作っちゃうんですね^^ |
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| 事象(できごと)を科学する分野においては、 このことは「共時性(シンクロニシティ)」とか言われます。 ただ、科学的に時間を考察するのであれば、時間は時間に、運命は運命に影響を与え合うという、 「単位の統一」を先に考えなければいけません。 運命や時間が「物質に影響を与える」と考えると、 共時性の問題が、オカルティックな領域から抜けだせないのです。 占術の道具が、何か「特別なもの」と誤解されてしまうのですね。 ----- 実際に卜占は、どういった道具でも行なう事ができます。 私はタロットを持っていない時は「碁石や麻雀牌」でも占ったりしますし、 鉛筆やサイコロを転がしても「相」は出現します。 タロットそのものも単に「1から78」の数字を書いた紙でも、何ら構わないのです。 卜占の道具の優劣は、そのものの「ちから」ではなく、 それが相を起こした時の「読みやすさ」にあり、 運命の分割の仕方の「分かりやすさ」にあります。 タロットや易の筮竹(ぜいちく)、ルーンなどは、その点において優れているのですね。 ----- さて、ここで誤解しがちなのは、 「ではすぐ先に何か時間の質の変化がなければカードは反応しないのか」 つまり「すぐ先の事」しかカードは読めないのか、ということです。 しかしよく考えてみると、 会合による時間の質は「単に変化している最中」であって、 未来に会合がなくとも「周期や因果」で時間そのものには常に「質がある」のです。 通常はタロット等は、この「継続中の周期や因果」に会合します。 そしてこの継続中の周期や因果に特別変化がない状態なら、 カードはまったく「同じ相」を出し続けます。 ----- ただ現実的には「因果が混ざる」のですね。 二度占いの効力が薄いのは、ここに理由があります。 それは例えば「近くの木に雷が落ちるのを見た」と友達に言われて、 同じ場所に見に行く子供と似たような行為になってしまうのです。 ----- つまり「二度占いの持っている問題」とは、 「では一度目に出た占いの結果をどうするのか」という問題なのですね。 多くの場合、私達はこれを「なかった事」にします。 しかしこれは常識的に考えても、非常におかしな考え方なのです^^; 一回出たカードは、事実上「なかった事」にはできません。 それは落雷や事故でも同じです。その事には納得できるのに、 タロットにおいて「二度目が成立する」と考えるのは、本来おかしな考え方です。 図で言うと「皇帝の次に出した二度占いのカード」は、 あくまでも「皇帝の次に出たカード」でしかなく、 占者の都合でこれを「最初のカード」には「出来ない」のですね。 もちろん、図のB君が落雷に出会う確率が決して「ゼロではない」のと同じく、 二度目も全く同じカードが出る確率は「ゼロ」ではありません。 しかしこの時点で「会合」に「確率の問題」が混ざってしまいます。 ----- ただ同じ運命と会合している以上、極めて「近似的/補足的」な「相」をタロットは提示します。 的外れなカードは出てきません。 ですのでスプレッドにカードを「追加/補足」する行為は、私はアリだと考えています^^ ----- では逆に「多人数で一斉に同じ問題を鑑定する」、いわゆる「同時鑑定」はどうかというと、 これは面白い結果が出るだろうと私は考えています。こないだのマラソンでもそうでしたが^^ 私がやってみたいなぁと考えてるのは、最低でも千人単位での同時鑑定です。 おそらく、確率以上の大きな「偏り」がカードに出るはずです。 ----- 千人が千人まったく同じカードが出ないのは、 これはもう仕方がありません。先に書いた事故の例と同じです。 クルマにぶつかったのがジェット・リーと私では、 おそらく「洋服の破れ方=相」も違うでしょう^^; 「その占者」が「問題に会合している瞬間」は、立場を変えれば、 「その問題」が「占者に会合している瞬間」でもあります。 会合(鑑定)の瞬間に投げ込まれたスプレッドの「運命」は、 依頼者の問題に会合すると同時に占者の「リーディングの特徴」にも会合しているのです。 ですからその占者の「過去のリーディングの性質や傾向」にも、 スプレッドの「相」は影響を受けます。 「カードが読み手に合わせて展開してくれる」というのは、そういう意味なのですね。 |
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