基本数の最終命である達命。

一つ前の「展命」が人による「圏」を持つのに対応して、
この運命は「運命そのものの圏」に関与する。

何事かを「完成させる時期」に立ち会う機会が多いのだ。
例えばそれは「会社や団体の設立」であったり、
あるいは「技術の完成」であったりする。

達命を持つ者は、何かがそこで「終わる時」に現れる。
彼は「人が運命の終着点で立ちすくんでいる時」に姿を現し、
新たな人生を指し示す。

よって本人は、
誰か他の人間の「人生の転機」に立ち会う機会が極めて多い。
それに関与する事も少なからずあり、場合によっては、
責任の分担の可能性も持っているのがこの運命である。

様々な知識・技術の修得の機会、
さらには人間との出会いが多くある。

しかし、ここから先に「達命」の最も特殊な性質が顕現する。



達命の出会い・恋愛・別れ--

「達命」は、その始まりから「別れを宿命として持つ運命」である。

他の誰かの「運命の輪」を回し、知識や経験をもって出会いの糸を紡ぎ、
人と人とを結び付ける。そして人は「達命」によって、新たな出発を得る。

しかし「達命」そのものは「それについて行く事はできない」。

役目が終わるからである。
「達命」は「他の運命の終焉と新たなる出立」の立会人であり、
その運命を「共に歩むもの」では無いからだ。

もちろん「運命を共にしない」からといって「縁が切れる」わけでは無いので、
人脈や友人知人は、非常に多くなる可能性がある。
さらにはその人々すべての「重要な時期に」関わる運命であるから、
その縁の深さも「通り一遍のもの」でなく深くなる事が多い。

そこから得る人生の経験も貴重なものが多い。
しかし「達命」は常に、
その人生の経験は「別の場所」で役立てなければならなくなる。
その場では、もはや使いものにならないのだ。

これが本人の宿星によって「現状に固執する」性格を持つと、
「達命」は運命の先に「断崖」を準備する。



達命の試練「幻想」--

繰返しになるが、「達命」は本人に貴重な技術や経験、人間関係を与える。
しかしそれは決して「そこで使用する事はできない」。
達命が「場から何かを手に入れる時」は「その場の終わりの時」なのだ。
この事は裏を返せば、

「何かを手に入れようとすれば、その場を破壊しなければならない」事を意味する。

達命が刈り取った畑に、二度作物が実る事は無い。
達命が作り上げた物は、必ずそこには留まらない。
達命が手にする知恵は、いつも誰かの「忘れ形見」であり、

達命が誰かを愛すれば、彼は愛するものと「そこから去らねば」ならない。
そこに留まったまま愛する事は、できない。

達命は決して「その場を丸く収める事は」できない。
現状を維持しようとすれば本人が犠牲になり、
本人が満足しようとすれば現状を破壊する。

「二者択一」の運命なのだ。

このような運命なので、常に本人は「幻想」の試練に晒される。
本人が固定性の思考であったり、安定を求めたりすると、
達命は本人に「何も与えようとしない」。

そこで運命が「行き止まり」になってしまうのだ。
耐えて歩けども歩けども続くのは砂漠で、楽園は蜃気楼となる。
その「幻想」に迷い込み、人生を浪費する怖れの強くあるのが、
この運命の試練である。

この運命に加護されたものは「とにかく新たな行動を」起こさねばならない。
雨が止むまで耐える事は、この運命にはそぐわないのだ。

これらの経験によって、本人に対して職種に関係なく、
「芸術的・哲学的・思想的」傾向を多く与えるのが達命なのである。


そこには、

「運命にも死が訪れ、死んだ運命に固執しても何も始まらない」という、

最終命にふさわしく、そして悲しい学びが隠されている。