「道命」はおそらく全ての運命の中で、
最も特殊な性質を持つ運命なのかもしれない。

どの群れにも属さず、影響されず。
集団に馴染むことなく、出会いも極めて少ない。
まるで「社会の孤島」に本人を住まわせるような、
そんな不思議な性質を持った運命である。

移動性の奇数命でありながら、
極めて「隔離的」な性質を持つ、この運命の命題は、

「邪魔物の排除」なのだ。

この運命は、本人が打ち込むべきことを見つけると、
それを阻害する一切を排除しようとする。
たとえそれが「親兄弟、夫婦、恋人」であったとしても。

結果本人は、
「技術職、学者系」の職種に従事する機会を多く得られる。



道命の出会い・恋愛・別れ--

出会いに関して「道命」は、本当に相手を準備しない。
基本的に奇数命は偶数命に比べ、出会いが多いのが特徴なのだが、
この運命は「出会いの数」においては、偶数命にすら劣る場合が多い。

しかしその数こそ劣るものの、
そのタイミングは全ての運命の中で「抜群」のタイミングを誇る。

「必要な人間」が「必要な時」にあらわれる。
仕事でも恋愛でもそうである。
よってこの運命を持つ人は、各々の出会いの相手の性格に留まらず、
出会った「時期の持つ意味」を極めて真剣に捕らえる必要がある。

そして、ここからが「道命」の「残酷」な面なのだが、

この運命は、本人にとってその「相手が必要と無くなった時」に、
本人の意志は「全く無視して」簡単に相手を「放り出してしまう」。

だから道命の別れは「納得のいかないもの」が多い。
本人が性格に「未練を引きずる数」を持っていれば、

最悪「精神的破綻」を呼び込む怖れも内在しているのだ。




道命の試練「孤独」--

もともとこの「道命」は、
極めて特殊な環境、状態での「生存の為の知恵」を
紡ぎ出すために存在する運命である。
よって、意志の「非常に強い」人間を好んで加護する。

運命が、その人間を選び、特殊な状況、人生を準備するのだ。
よってその人間が、一旦覚悟を決め人生の目標を定めた際には、
この運命は、おそらくは全ての運命の中で最も強烈な加護を保証する。

だから特に「学問、人生探究」には理想的な運命である。
一切の邪魔が、入らないのだ。

しかしこの運命を「通常の環境」に馴染ませようとすると、
そこには全くと言って良いほど「理解者」が現れない。

あまりに特殊な環境のため、相手の理解を超えてしまうことが多いのだ。
これは単に「職種」とか「境遇」に留まらない。
本人が「そういう考えに至った経緯」や、
本人が「そうせざるを得なかった過程」が、

通常に比べて「非常に稀なケース」を通り抜けるからである。
生い立ち、幼少期の経験、恋愛のパターン、
どれもこれも「通常とは違ったケース」が準備される。

だから一般的な「法則、経験則、人生訓」が、
この運命には全く通用しない。

まるで運命が「全てを知ったつもりになるな」と、
せせら笑うがごとく、常識の通用しないパターンを本人に準備する。

そこから得られる経験は、非常に貴重なものである。
そしてそれは「理解されぬ孤独の代償」でもあるのだ。




孤高に離れ輝く「道命」の学びとは、

「知恵は、まだ見ぬ深淵の中にこそ在る」という事なのかもしれない。