◇自分の中の自分「願望数」◇

さて相性を考える時、最も考慮すべきなのが「願望数」です。

「願望数」とは、姓名の中の「母音だけを計算した数」の事です。

(簡易計算表を使って願望数を出す際は、
姓と名の部分に母音だけ書き込んで計算して下さい)



世を思えば、
言っている事と、やっている事が食い違う人というのが、
ほとんどです。
特に恋愛関係において、それは多く発現します。

「べたべたするのは嫌い」という人がやたら甘えんぼだったり、
「けっこうさっぱりしてる」というスタンスを取ってる人が、
いざ別れの時に非常に相手に未練を持ったり。

これは「性格数」「運命数」と、
「願望数」との食い違いから生じている場合が多いのです。


「願望数」というのは、
極めて幼い時から本人に定着する数の性質です。
それに対して「性格数」「運命数」は、
本人の性格、運命にじわじわと定着していきます。

その「タイムラグ(時間差)」が問題なのですね。
特に幼少期に大きな事件や因果に巻き込まれた人は、
(例えば両親あるいは片親との離別、極端な生活環境の変化等)

この「願望数」に捕われて、その後に発現する「性格数」「運命数」を
受け入れがたくなる傾向があるのです。

その結果、どう言う事が起こるのかと言うと、

御自分の性格や運命を「願望数のようなもの」と「誤解」してしまうのですね。



上の場合、性格数は「5」ですが願望数が「9」なので、
本人はあたかも「9」が自分の性格であるように「小さい頃から振る舞います」。
それは一種の「訓練効果」となって、
周囲に対する第一印象を「9」で与える事に成功するかもしれません。

しかし「性格数」「運命数」は決して「願望数」で押さえられる事はなく、
結果、時間が経つに連れて周囲は本人の性格に「矛盾を」見い出していきます。

最も問題なのは、

周囲がすでに本人の性格を「把握しなおした状態」であってすら、
当の本人が未だに「願望数」に執着している場合です。

円環図で見てみましょう。



では先ほどの「願望数9」「性格数5」の人が、
「性格数4」の人に出会った場合、どうなるのでしょうか。

「9」と「4」は「相互補完数」です。
ですからこの二人の場合、
お互いが第一印象で非常に引き合う
可能性があります。

場合によっては一目惚れとなって、
簡単にペアとなるでしょう。
しかしそこからが問題です。


しばらく付合っている間に、
相手「4」は本人の性格に、
だんだんと「矛盾」を感じだします。
言動の不一致ですね。

本人は表面的な訓練によって、
「9」の性格を相手に見せようとしますが、
所詮は「本来の9」ではありませんから、
その表現はオーバーでありながら、
なお本来の「5」の部分が隠せません。

最終的には、相手「4」は完全に、
本人の「本来の性格5」を
見破ってしまいます。


こうなると相手「4」はもはや本人を、
「隣接数5」としてしか意識しなくなります。
その時点で本当ならば本人が
「5」を表現すれば
まだうまくやっていく可能性は残るのですが、

本人から「相互補完数」の意識が
消えない場合が問題があります。
この場合は本人は相手の自分に対する
態度の変化に、理由が見出せません。

こうなると非常に悲劇的です。
相手にしてみれば「騙された感覚」が残り、
本人にしてみれば「相手の気移り・心変わり」としてしか受け止められません。

結果お互いがお互いの非を認めず、関係は非常に気まずいものとなります。
第三者がいない場合ですらこういう事が起こり得ますから、
ここに第三者が加わったりすると、

泥沼になるおそれがあるのですね^^;



◇自己実現者◇

では、「性格数」と「願望数」が、
もともと「一致している人」はどうなのでしょうか?

こういう人を「自己実現者」と言います。

「自己実現者」は社会において「少数派」です。
こういう人は自分の感情や願望をとても素直に相手にぶつけますので、
分かりやすい性格と言えばそうなのですが、
逆に言えば「孤立しやすい性格」でもあります。

別に「他人」を必要としないからです^^

まぁ人並みに「結婚」「組織の安定」とかには憧れは持ちますが、
本来そういった「集団意識」を必要としません。
ですから自ら性格を周囲に合わせる事もしません。
弾き出されれば弾き出されたで、なんとも思わないのが「自己実現者」です。

ということは、

逆に考えれば通常の「願望数と性格数が違う人」というのは、
やはり何らかの形で「誰かを必要とする」のですね。


この「願望数」とは、いったい何のためにあるのでしょうか?




◇「憧れ」という考え方◇

つまり「願望数」は、
本人のこころに「憧れ(あこがれ)」を産み出すために存在する数なのです。

円環図の法則とは別に、秘数で調べると、
ある「願望数」を持った人はそれと同じ「性格数」「運命数」の相手に、
非常に引き付けられる傾向があります。
例えば「願望数3」を持つ人は、
「性格数3」「運命数3」の人に、引き付けられます。

それがいわゆる「憧れ」という現象です。

その人の生き方、考え方、感じ方に「憧れ」るのです。
そして「憧れ」は「模倣」を産み出します。
「模倣」は「学習」を産み出すのです。

こうして人は、自分の持つ「性格数」「運命数」とは
「別の」生き方、考え方を学びます。
そしてそれを「認める」に至ります。

そうやって集団に馴染んでいくのです。ですから、
願望数は「幼少期」に発現するのですね。
まだ幼い、こころの柔軟な時期に発現するのです。

問題はそれを「願望数」とは違う自分自身の「性格数」で、
どう表現するかなのですね^^

それによって人の性格は千変万化します。
様々な性格、個性が発現するのです。

そうして人の世は複雑になります。
人のあり方も、複雑になります。

たった11種類の秘数から、こうした社会のあり方を紡ぎ出すところが、
私が数秘術に惹かれた理由でもあるんですけどね。
余談でした^^



で、これが消化し切れずに「模倣の段階」で終わっているのが、
今回書いた例の「願望数を性格数と誤解している場合」なのです。
この場合はおおむね不幸です。

私は、その人本人が性格を捨ててまで幸福になる必要はないとは思っていますが、
こういう「誤解によって不幸になっている場合」は、
しっかりと自分の性格と願望を「把握しなおすべき」だとも思っています。
そのためのアドバイスもします、だいたいが遠回しにですが。
(図解とかが無ければ説明しにくいのですね^^;)

みなさんも、是非一度は御自分の「願望数」「性格数」を、
現在の気持ちのあり方に照らし合わせてみて下さい。

新しい発見は、必ずあると思いますよ^^


戻る